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午前中に時間がとれ、美容室へ前髪カットに行く。それまでの私は、男性の美容師さんに苦手意識を持つことが多かったのだが、その方は大丈夫だった。むしろ「仕事意識」が強く「自分」をしっかり持っている方で髪について学ぶことも多かった。
「自分は○○が苦手」と決めつけてはいけない、無理かもしれないと思ったことでも、とりあえずやってみなければ様々な機会を失う。当たり前のことだけれど。
 お店は、本州以外のある場所出身のスタッフを集めていて、和気あいあいとした雰囲気もよかった。すると美容師さんが、8年間勤めていた美容室を辞め、友だちとお店を出すという。美容師さんは、こう言った。
 新しい店で失敗したら、また戻っておいでと店長がいってくれた。とてもありがたいが、保険をかけるのはどうか、と。
          ※
 私たちは、人生のいろいろな場面で「保険」をかけている。
これがだめだったときに備えてこうしよう、と。

 「保険」をかけるかどうかは「本気度の高さ」と関わっているのだろう。そして「保険」をかけるということは、諦めることができるという選択肢があるということだ。

 私の場合を考えてみた。「研究者になれなかったら」という選択肢はなかった。単に向こう見ずな振る舞いだったのだが。

 これから先「保険」をかけない人生の選択肢を少なからず持つことができれば、素敵なことだな、と思う。
「代わりのものは見つけられない」という仕事に励み「あなたの代わりはいない」という人と付き合ってゆく。
 もちろん、人生にはいろいろあるから、大事なものを失う不安といつも隣り合わせになる。そんな不安に負けないで闘うことができれば、と思う。
2014/05/02(金) 09:36 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
3月はほどんど自宅を不在にして出張していた。
なかでも、シアトルでのシネマ&メディア学会での発表は、十数年ぶりのアメリカ訪問であり、英語での学会発表で刺激的だった。一人でシアトルの空港に到着してタクシーでホテルに向かうとき、大学の留学時の感覚が少しずつ思い出されてきた。チップのことでタクシーの運転手と交渉したり、ホテルの鍵が使えなかったり、論文を執筆するためレイトチェックインに変更したり。いろいろなことを一人でこなしてゆくタフさは、あの留学時に身について今も私の中に確固として残っていると感じた。
シアトル滞在中は英語圏で積極的に調査し、学会発表している映画研究の研究仲間にいろいろと教えられた。ソウルでは大学院留学以来に訪れた延世大学の図書館で調査。英語も韓国語も継続的に勉強してゆかないと研究ができない。
 別件。忙しい最中、またまた引っ越しすることになった。16歳のときから3年以上同じ住まいにいたことがないのだが。昨晩から名古屋で荷物を片付けている。異動する年に甲南女子大学のゼミ生がプレゼントしてくれた誕生日bookと、新任で着任した年の専修大学の四年ゼミ生のメッセージカードを久しぶりに開いた。
 学生たちは、とても温かいメッセージを書いてくれていた。私はそれに応えられるような教育・研究をしてきたのだろうか? 当時の写真も入っており、ゼミ生と楽しそうに過ごしている自分が写っていた。いま、授業のコマ数が増え、一週間で担当する学生の延べ人数はおそらく1000人以上に達している。ゼミ生一人一人に時間をかけて対応ができにくい現在、善処しなければと思っている。
 とりあえず、引っ越しするので、ときには学生を自宅に招待できるような機会も持てるようにしたいと思う。
2014/04/13(日) 10:01 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
ゼミの口述試験、および4年生の追い出しコンパを終えた。
昨年もよかったが、今年の4年生は本当に仲が良く、素敵な学生ばかりだった。多くの4年ゼミ生が、ゼミが本当に楽しかったと言ってくれた。卒業論文もなかなか楽しめた。
 コンパのとき、私の休日の過ごし方が謎、という質問があった。どうやら、優雅な休日を過ごしていると思われていた様子。私は研究者ですので、学会か研究会か出張で、プライベートがないです。しかし研究がとても好きなので、とても楽しいです。
 3年生から、4年生へ卒業プレゼントの贈呈があった。女子学生にはメイクアップ商品、男子学生には個別だったのだが、そのうち二人だけは、ゼミ生に公開できないプレゼントだったそう。そのうちの一人、元ゼミ長に「こっそり見せて」と頼んだのだが「先生には、絶対に見せられません」というプレゼント。余計に気になる。
 4年生から私に『純情ロマンチカ』DVDボックスのプレゼントがあった。受け取ったときに、喜んだ顔をすればよかったのだが、内容がよくわからなくて、微妙な表情をしていたらしい。「先生は喜んでくれたのかしら」と4年生に懸念させてしまった。・・・すみません。ただ、全編12話を見て、ゼミの掲示板に書き込むという指令をいただいた(笑)。春休みに観ようと思うし、来年のゼミ合宿で上映および研究分析をしましょう。
2014/01/23(木) 17:56 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
箱根駅伝から名古屋宅に戻り、伏見ミリオン座に是枝裕和監督の最新作を見に行ってきた。
病院で取り違えられた子どもを育てた親が、実の子か育ての子かどちらを選択すべきか葛藤する話だ。私は是枝監督の映画を気に入っている。『幻の光』『空気人形』がお気に入りの作品だ。
『そして父になる』は、私自身は仕事に忙しい主人公・良多の視点で観た。息子と遊ぶ時間のない良多が「僕にしかできない仕事があるんですよ」と言い、電気屋の主人である雄大は「父親かて取りかえのきかん仕事やろ」という。「時間だけじゃないと思いますけどね」(良多)「時間だよ、子どもは時間」(雄大)というやりとりもある。

個人的なことになるが、数日前、知人から「子どもを産まないことの方に肯定的、積極的な女性がいることに驚いた」と言われた。そういうものなのかな、とも思った。
十代の頃から二十年以上、子どもを産みたいという思いを抱いたことはなかった。自分が子どもを産むという選択肢を、そもそも思いつきもしなかった。実際、研究が忙しくてそれどころではなかったのだが、大きな理由は、血の繋がりによる愛情という考えを受け入れることができなかったからだ。私が産まなくても、世の中には大人が手を差し伸べるべき子どもが溢れているではないか、という思いがずっとある。
だから、私の望みの一つは、血の繋がりのない子どもを育てることにあって、血縁に拠らない家族を小説にした作家さんに、手紙を送ったこともあった。
 乳児院などにもアクセスしたが、仕事をフルタイムで持つ私が養子をもらうことは見送らざるを得なかった。311の後も震災孤児について思いをめぐらせた。もちろん私も良多のように「私にしかできない仕事がある」という認識で仕事をして、子どもに対して十分な時間を割いてあげられることは、これから先もできないかもしれない。それについて葛藤がないはずはない。また、子どもが病気にかかったときに、親の遺伝的な部分について医師から尋ねられるだろうから、血の繋がりのないことによって、自らの無力さに打ちのめされることもあるだろう。でも、そのようなことは乗り越えられるだろうし、乗り越えなければいけないことなのだろう。
 子どもは誰かから深く愛されているという実感によって、自らの生を肯定的にとらえることができるのではないだろうか。それは、血の繋がり云々ではないと思うし単なる時間ではないと思う。
それは大人も同じだ。長く一緒に時間を過ごしてもそこに愛情を感じとることができなければ、共有する時間は惰性でしかないし、あるいはそれが愛という名称を語りながら、相手のことを考えていない利己的な一方的なものであれば、相手を不幸にするだけだ。

 『そして父になる』については、良多は育ての子を選ぶ結末がほのめかされたが、それでも、それぞれの家庭の子供は、それぞれの家庭の父母から、つまり血縁のつながりのある親からも血縁のつながりのない親からも愛情を得る、ダブルの愛を得ることになるのではないか、と希望を持った。
 観てよかった映画だった。観終わった後、なぜかとても走り出したくなって、走って自宅に戻った。
2014/01/03(金) 10:08 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
東洋大学出身でお世話になっている研究者が結婚されるとのことで、六本木ヒルズのロイズ東京バー&グリルにに出かけた。いつものごとく、迷いつつ、辿り着く。夜景の素晴らしいお店だった。東洋大学の先生方5人に私が1人参加させていただき、小島信夫と別荘が近く、交流があった話など、いろいろなお話を伺う。
 私の知人は、とても素敵なお嬢さんで、どんな方が配偶者だろうと思っていたところ、現れたのは岡山の学会発表で大変お世話になった研究者だったので驚いた。素敵なカップルで私も幸福な気持ちでいっぱいだ。
 その後、研究室に戻り、徹夜で作業をする。11時過ぎに、守衛さんからお気遣いの電話をいただく。ありがとうございます。
2013/12/27(金) 11:35 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
水曜日の夕方は、東洋大学でジブリの講義を担当させていただいている。
昨日は高畑勲監督の『ホーホケキョとなりの山田くん』を扱った。高畑監督がこのアニメーション映画に着手した意義や、内容、技術上の新しい挑戦など説明をし、その上でキャッチフレーズの「適当」(肩の力を抜いて生きようという意味)について話したところ、多くの学生は、初めて観たにもかかわらず、共感してくれて、高畑監督の最新作『かぐや姫の物語』を観に行こうと思う、というコメントを寄せてくれた。
 かつて日本中を震撼させた神戸児童殺傷事件についても時代背景として言及したため、授業後は、神戸の出身の学生がその事件についての記憶について教えてくれた。また、上京し一人暮らしを始めた経験なども話してくれて、こんな風に、学生たちは考えているのだな、と学ぶことが多い。
 『山田くん』。学生にこういう素晴らしい作品について伝えることのできる仕事ができて、私は幸福だと思った。
2013/12/12(木) 20:22 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
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