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昨日、神奈川県の近代文学館で作家の水村美苗さんが夏目漱石についてお話くださった。水村さんは、素敵な方で、書き手ならではの視点のお話はとても面白かった。
        ◇
 大学1、2年生のときだっただろうか。私は外国語専攻の学生で、兼任講師で授業にいらっしゃった名大(当時)の助川先生を教室の前で待ち、授業を受けさせていただくことをお願いした。その授業は、夏目漱石の後期の小説を扱うものだった。私は一生懸命、漱石の長編小説を読み、その講義に熱心に耳を傾けた。『虞美人草』『道草』『彼岸過迄』『明暗』etc.講義はとても楽しく、水を得た魚のように、私の心に染み入った。
 夏目漱石は、人が生きることと倫理について考え、そして、西洋の文学の中心が恋愛であることを知り、恋愛とはいかなるものかを追求した―――という水村さんのお話は、私にとってとても納得するものだった。
『虞美人草』で主人公の小野さんは、恋愛対象としての藤尾ではなく、儒教を象徴する漢文学の大学教授(自分の師)の娘と婚姻する。ところが、その後、漱石は『それから』『門』のような世間から憚れるような恋愛をまっとうする主人公を描く。私は、ずっと不思議に思っていた。水村さんは、こうおっしゃった。恋愛とは「相手のために自分を差し出すこと」を迫るもの、漱石はそれに気づき変節したのだ、と。
 世間的評価では有用ではない男性主人公たち。諸事全般の駆け引きでは劣り、人には不器用な生き方にみえるかもしれない。でも、自分の生き方に覚悟を持つ。

 漱石が描く恋愛が、恋愛そのものの表象なのか、あるいはほかのものの表象なのかわからない。でも、漱石は、人としていかに生きるべきかをずっと追求していたのだと思うとき、それは私にとってとても励ましになる。
2016/04/17(日) 18:44 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
前年度、後期の授業が終わり、入試が終わり、春休みに長崎(軍艦島etc.)と熊本(夏目漱石関連)に研修、出張に行き、あれよあれよという間に新学期を迎えた。
 それでも、アニメーション映画「父を探して」をは観なくては、と思い、イメージ・フォーラム(渋谷)に足を運んだ。            幾度もの鑑賞に値する作品と思われた。同時に解説をとても欲する作品であった。パンフレットにアニメーション評論の土居さんが文章を記していて、それがより作品を深く鑑賞できるものになっていた。アニメーションの学術的研究を専門的に続けてきたからこそ、綴ることができる文章と拝見した。
 非商業系アニメーションの上映は、上映後の10分だけでもよいので、併せて解説してくれるコメンテーターがいると、もっともっと作品の良さが伝わるのではないか、と思った。
2016/04/10(日) 23:18 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
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