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箱根駅伝から名古屋宅に戻り、伏見ミリオン座に是枝裕和監督の最新作を見に行ってきた。
病院で取り違えられた子どもを育てた親が、実の子か育ての子かどちらを選択すべきか葛藤する話だ。私は是枝監督の映画を気に入っている。『幻の光』『空気人形』がお気に入りの作品だ。
『そして父になる』は、私自身は仕事に忙しい主人公・良多の視点で観た。息子と遊ぶ時間のない良多が「僕にしかできない仕事があるんですよ」と言い、電気屋の主人である雄大は「父親かて取りかえのきかん仕事やろ」という。「時間だけじゃないと思いますけどね」(良多)「時間だよ、子どもは時間」(雄大)というやりとりもある。

個人的なことになるが、数日前、知人から「子どもを産まないことの方に肯定的、積極的な女性がいることに驚いた」と言われた。そういうものなのかな、とも思った。
十代の頃から二十年以上、子どもを産みたいという思いを抱いたことはなかった。自分が子どもを産むという選択肢を、そもそも思いつきもしなかった。実際、研究が忙しくてそれどころではなかったのだが、大きな理由は、血の繋がりによる愛情という考えを受け入れることができなかったからだ。私が産まなくても、世の中には大人が手を差し伸べるべき子どもが溢れているではないか、という思いがずっとある。
だから、私の望みの一つは、血の繋がりのない子どもを育てることにあって、血縁に拠らない家族を小説にした作家さんに、手紙を送ったこともあった。
 乳児院などにもアクセスしたが、仕事をフルタイムで持つ私が養子をもらうことは見送らざるを得なかった。311の後も震災孤児について思いをめぐらせた。もちろん私も良多のように「私にしかできない仕事がある」という認識で仕事をして、子どもに対して十分な時間を割いてあげられることは、これから先もできないかもしれない。それについて葛藤がないはずはない。また、子どもが病気にかかったときに、親の遺伝的な部分について医師から尋ねられるだろうから、血の繋がりのないことによって、自らの無力さに打ちのめされることもあるだろう。でも、そのようなことは乗り越えられるだろうし、乗り越えなければいけないことなのだろう。
 子どもは誰かから深く愛されているという実感によって、自らの生を肯定的にとらえることができるのではないだろうか。それは、血の繋がり云々ではないと思うし単なる時間ではないと思う。
それは大人も同じだ。長く一緒に時間を過ごしてもそこに愛情を感じとることができなければ、共有する時間は惰性でしかないし、あるいはそれが愛という名称を語りながら、相手のことを考えていない利己的な一方的なものであれば、相手を不幸にするだけだ。

 『そして父になる』については、良多は育ての子を選ぶ結末がほのめかされたが、それでも、それぞれの家庭の子供は、それぞれの家庭の父母から、つまり血縁のつながりのある親からも血縁のつながりのない親からも愛情を得る、ダブルの愛を得ることになるのではないか、と希望を持った。
 観てよかった映画だった。観終わった後、なぜかとても走り出したくなって、走って自宅に戻った。
2014/01/03(金) 10:08 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
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