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今しかできないこと
年賀状。今年は、今しかできないこと、自分しかできないことをやりたいと思う、という言葉が散見された。同業者については、改組の校務に追われて、研究ができないということを嘆くものだったが。
最近「今しかできないこと」をするということは、どういうことなのかとつとに思う。とくに研究、教育機関に身を置く者として、現在の子どもたち、学生たちにとって「今しかできないこと」をすることはどのくらい可能なのか、と考え込んでしまうことが多い。
たとえば卒業論文の執筆。三年生の終わりから一年くらいをかけてじっくり取り組むことが「大学生」にとって「今しかできないこと」の項目の上位になるはずだろう。それは大学四年間の集大成になるのだろうから。しかし、現在大学3年の冬には就職活動が始まる。就職率四割という時代では就活期間の長期化どころか、卒論を提出しても就職先が決まっていない学生が半分はいるということになる。こんな状況では、就活が「今しかできないこと」に代わってしまうのは当然だ。大学という四年間でしかできないこと、そんなことができるような社会になってほしいとただ願う。
そもそも大学が最終学歴となる人が多いように、大学というのは学歴社会の日本にとって最終ゴールだったはずではないか。そしてそのゴールにいたるまで「今しかできないこと」は受験勉強というものになってしまった人も多かったのではないか。
たとえば、今の子どもたちは、一昔前よりはるかに塾に通う子どもが増えているように思われる。中学受験のための塾に通う年齢も低くなっている。たとえば小学4年生から塾通いをスタートさせるとして10歳の子どもにとって「今しかできないこと」が受験勉強だとは、私はとうてい思えない。そんなことは誰しも皆わかっていて、将来のために「今しかできないこと」については目をつぶるのだ。
学歴が通用しない社会になりつつあっても、学歴志向は消えない。しかし、最終学歴の大学では、大学での学問がおろそかにされる。
大学の教員をしている者としては、文系であっても大学の学問成果を大きく評価するような採用を企業の方にお願いしたいのだが、企業の方にとっては大学の学問成果が企業の求めるものと大きく異なってしまうのだろう。
2011/01/06(木)
00:41
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映画『ノルウェイの森』
レイトショーで観にいった。
原作の読者が多い小説を映像化するときには、読者のイメージを壊さないように配慮をする人が多い。その意味では、今回は、日本人ではない監督でよかったのかもしれない。『ノルウェイの森』は翻訳で読むと、このようなテーマが前景化するのだろうかと思った。
直子役の菊地凛子さんの演技は素晴らしかった。もちろん、直子にはもっと線の細い、少女らしさを残す女性を想像していたけれど、今後直子役を誰かがしたとしても菊地凛子さんを超える人は出ないと思った。緑やレイコさん、ハツミさんは、原作の良さが出ていないためか、生彩に欠けた。
この映画は、たぶん、もう観ないと思う。
2010/12/29(水)
05:07
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無事卒論提出
ゼミの四年生が、全員卒業論文を提出した。とても嬉しい。優秀な四年生なのだが、この時期毎年いろいろなアクシデントが生じるので、提出日は胃が痛む(ような気がする)。
とにかくよかった~。
2010/12/15(水)
21:16
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自分の居場所
専大に勤めて一年と9ヵ月。昨年は新任だったので知らない人ばかりで、いろいろな会合では、気遣っていろいろな人が話しかけてくれた。今年は文学部にも新任が沢山入ってきて、私は気遣う側になったことを実感。一年前はこの会合で新任の挨拶のスピーチをしたなあ、などと思い出す(もちろん、まだ知らない人も多く気遣ってもらってもいる)。
少しずつ、学内で知り合いも増えた。その分、いろいろな活動にも参加し、視野を広げる機会に恵まれる。所属学科以外のいろいろな学部にも教養の文学の教員がいて知識の広さに圧倒されたりする。学内に優秀な女性教員が多いのも嬉しい。
中学、高校、大学、大学院で、それぞれの場所で友達はいたけれど、進路が大きく違ってしまって、今も友達といえるのは教職についている人たちでごくわずか。大学院でようやく自分と志を同じくするような「仲間たち」に出会えたと思った。前任校では研究者と感じられる女性教員がほとんどいなかったし、忙しすぎたし、価値観のギャップも強く感じた。研究の話をすることもほとんどなかった。いま、ようやく自分の研究を話したり、同僚の研究から刺激を受けたりする、自分の居場所ができたと感じている。それは、私にとってとても嬉しいことだ。
2010/12/14(火)
21:58
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桜通線のホーム
今朝 名古屋市の地下鉄桜通線に乗って、もうすぐ名古屋駅に到着するというところで、車掌が長い長いクラクションを鳴らした。私は前から二両目に乗車していたのだが、なぜだか人がふら~とホームから線路に向かっているような姿が思い浮かんだ。と同時に、ブレーキがかかって停車した。電車は後ろの車両はまだホームに入りきっていない。しばらくして車内の照明が落ちた。一両目の、私から対角線上の座っている何人かの乗客たちが立ち上がり、窓の方を向いて電車の下の方をのぞこうとしている。そこに人が入り込んだのだろうか。しばらくして人身事故というアナウンス。そして、乗客たちは先頭の車両からホームに下りることができたのだけれど、すれ違いに大きな担架が運ばれてきた。それからしばらくはユリカ精算の行列。そのあいだにシーツや救命道具のような箱を持った職員さんが電車に向かう。
夕方の報道によると、飛び込みで心拍停止とのこと。どんな人かわからない。でも、クラクションが鳴っていたときその人は生きていて、そして鳴り終わったときはその人の生は終わった。人身事故と聞いて、仕事に遅れると、おもむろに迷惑そうな顔をする多くのビジネスマン。たしかに大事な仕事に遅れるかもしれない。でもほんのすぐそこの目の前で一つの命が消えようとしていたこと(実際消えてしまっていた)、そのことを自分とはまったく関係のない世界だとふるまっている光景をみて、重たい気持ちになった。全然知らない人でも、その場を離れるときは、そこに手をあわせて生存を祈ったり、亡くなった場合には人を悼むようなことを私を含めて私たちはしない。見知らぬ誰かの生存よりも、仕事や通勤の優先。これは私たちの文化や宗教の問題なのか。少し怖くなった。
2010/11/29(月)
20:47
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職業病?
週に一度中学生の姪とスカイプでしている。英語を教えているのだ。私は日本文学の教員なのだが(パートタイムで英語教師の経験もある)。昨晩は少し風邪声だったけれど姪は期末試験の前だったので二時間ほど教えた。そして今朝起きたら声がおかしかった。早朝から開店している薬局に行き、喉の薬を求めたら「風邪薬ならありますけれど、風邪ですか?」と尋ねられた。私の声が変だったからだろう。店員さんは心配くださってサンプルのしょうが湯などもくださった。嗽をして薬を飲んで講義の授業をする。「こんな声ですから、声が出なくなったら授業を途中で切り上げなければならないかもしれません」と伝える。聞き苦しい声ながら学生さんは授業を真面目にきいてくれた。一応時間いっぱいまで授業をした。しかし、同情してくださってのど飴をわけてくださる学生さんもいた。
明日は学科の学会の大会。準備に追われていたら8時。再び風邪薬を飲んだが、所用で電話をかけたところ、声が出なくなっていた。薬は効かず悪化している。この喉は風邪ではないのだろうか? しかし悪寒もするし、発熱してきた気もする。とりあえず大学の近くの病院を検索してそろそろ帰宅しようかと思う。
2010/11/18(木)
20:58
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