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今朝 名古屋市の地下鉄桜通線に乗って、もうすぐ名古屋駅に到着するというところで、車掌が長い長いクラクションを鳴らした。私は前から二両目に乗車していたのだが、なぜだか人がふら~とホームから線路に向かっているような姿が思い浮かんだ。と同時に、ブレーキがかかって停車した。電車は後ろの車両はまだホームに入りきっていない。しばらくして車内の照明が落ちた。一両目の、私から対角線上の座っている何人かの乗客たちが立ち上がり、窓の方を向いて電車の下の方をのぞこうとしている。そこに人が入り込んだのだろうか。しばらくして人身事故というアナウンス。そして、乗客たちは先頭の車両からホームに下りることができたのだけれど、すれ違いに大きな担架が運ばれてきた。それからしばらくはユリカ精算の行列。そのあいだにシーツや救命道具のような箱を持った職員さんが電車に向かう。
 夕方の報道によると、飛び込みで心拍停止とのこと。どんな人かわからない。でも、クラクションが鳴っていたときその人は生きていて、そして鳴り終わったときはその人の生は終わった。人身事故と聞いて、仕事に遅れると、おもむろに迷惑そうな顔をする多くのビジネスマン。たしかに大事な仕事に遅れるかもしれない。でもほんのすぐそこの目の前で一つの命が消えようとしていたこと(実際消えてしまっていた)、そのことを自分とはまったく関係のない世界だとふるまっている光景をみて、重たい気持ちになった。全然知らない人でも、その場を離れるときは、そこに手をあわせて生存を祈ったり、亡くなった場合には人を悼むようなことを私を含めて私たちはしない。見知らぬ誰かの生存よりも、仕事や通勤の優先。これは私たちの文化や宗教の問題なのか。少し怖くなった。
2010/11/29(月) 20:47 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
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