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アニメーション映画「霧につつまれたハリネズミ」「話の話」で知られているノルシュテイン監督の講演会に出席した。素晴らしかったの一言だった。芸大の受験に何度も挑戦するが、不合格で入学できなかったこと、経済的事情から「外套」の制作が30年もかかっていること、美術館の展覧会はすべて拝見していること、「外套」制作のことを考えない日はないこと、などお話しくださり、芸術家としての監督の姿が伝わってくるものだった。DVDは絶版だが、近くデジタルマスター版が発売されるとのことで、楽しみにしている。イメージシアターでの上映もとても楽しみだ。事前申し込みはすぐに満員御礼となり、私はモニター席であったが、大きな画面の真正面でじっくり見ることができた。そして、ノルシュテイン監督のサインが入ったアニメーションの画(資料)も入手することができた。高額で随分悩んだが制作中の「外套」の資金にするとのことで、思い切って購入。「話の話」をモチーフにした絵だが、アニメーション画面にはない場面であり、研究材料としても興味深いが、一生の宝物にしようと考えている。
 
2016/10/30(日) 13:03 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
昨日、神奈川県の近代文学館で作家の水村美苗さんが夏目漱石についてお話くださった。水村さんは、素敵な方で、書き手ならではの視点のお話はとても面白かった。
        ◇
 大学1、2年生のときだっただろうか。私は外国語専攻の学生で、兼任講師で授業にいらっしゃった名大(当時)の助川先生を教室の前で待ち、授業を受けさせていただくことをお願いした。その授業は、夏目漱石の後期の小説を扱うものだった。私は一生懸命、漱石の長編小説を読み、その講義に熱心に耳を傾けた。『虞美人草』『道草』『彼岸過迄』『明暗』etc.講義はとても楽しく、水を得た魚のように、私の心に染み入った。
 夏目漱石は、人が生きることと倫理について考え、そして、西洋の文学の中心が恋愛であることを知り、恋愛とはいかなるものかを追求した―――という水村さんのお話は、私にとってとても納得するものだった。
『虞美人草』で主人公の小野さんは、恋愛対象としての藤尾ではなく、儒教を象徴する漢文学の大学教授(自分の師)の娘と婚姻する。ところが、その後、漱石は『それから』『門』のような世間から憚れるような恋愛をまっとうする主人公を描く。私は、ずっと不思議に思っていた。水村さんは、こうおっしゃった。恋愛とは「相手のために自分を差し出すこと」を迫るもの、漱石はそれに気づき変節したのだ、と。
 世間的評価では有用ではない男性主人公たち。諸事全般の駆け引きでは劣り、人には不器用な生き方にみえるかもしれない。でも、自分の生き方に覚悟を持つ。

 漱石が描く恋愛が、恋愛そのものの表象なのか、あるいはほかのものの表象なのかわからない。でも、漱石は、人としていかに生きるべきかをずっと追求していたのだと思うとき、それは私にとってとても励ましになる。
2016/04/17(日) 18:44 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
前年度、後期の授業が終わり、入試が終わり、春休みに長崎(軍艦島etc.)と熊本(夏目漱石関連)に研修、出張に行き、あれよあれよという間に新学期を迎えた。
 それでも、アニメーション映画「父を探して」をは観なくては、と思い、イメージ・フォーラム(渋谷)に足を運んだ。            幾度もの鑑賞に値する作品と思われた。同時に解説をとても欲する作品であった。パンフレットにアニメーション評論の土居さんが文章を記していて、それがより作品を深く鑑賞できるものになっていた。アニメーションの学術的研究を専門的に続けてきたからこそ、綴ることができる文章と拝見した。
 非商業系アニメーションの上映は、上映後の10分だけでもよいので、併せて解説してくれるコメンテーターがいると、もっともっと作品の良さが伝わるのではないか、と思った。
2016/04/10(日) 23:18 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
座間市の講座で、村上春樹と音楽についてお話させていただいたことは、私自身にとって、とても刺激にも勉強にもなった。こういう機会はとてもありがたい。
村上春樹が引用している音楽は、多くの村上春樹の熱心な読者の多くも同様だろうが、私の好きな作品が多い。たとえば、村上春樹もエッセイでオマージュを表明しているドアーズ「ハートに火をつけて」は、好きな曲というよりも、自分の中の何かをえぐられるような気持ちがする。それくらい何かを訴えてくる。とても繰り返して聴けない。・・・余談だが、ボーカルのジム・モリソンの誕生日は私と同じ。
村上春樹『ノルウエイの森』で、ヒロインの一人のルームメートだった女性が、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」(作品中では「死せる王女~」というタイトル)を弾く。ラヴェルの音楽は、ときとして「軽い」と評されることもあるのだが私はとても好きな曲だ。自宅ではUSENをひいて常にクラシック音楽が流れるようにしているのだが、この曲が流れるとつい手をとめてしまう。先日、鎌倉でチェロのコンサートに足を運んだが、この曲を演奏してくれてとても嬉しかった。
来年のゼミや講義では村上春樹と音楽の観点を少し強調してゆこうかと考えている。

四年生のゼミ生さんから、ローラアシュレイのエプロンと、2・5次元のDVDをいただいた。とても嬉しい。DVDはぜひ研究に生かします。エプロンは汚さないように(?)使っています。
2016/02/28(日) 06:44 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
文化センターで村上春樹『ノルウエイの森』を扱うため、小説をじっくり、ゆっくり再読しているが、私自身驚いていることに、文章自体が自分に迫ってくるように感じられる。
 この小説は、古めかしい言葉を使えば「思いのたけ」を表現している、と感じられる。私は職業柄、なるべく小説を冷静に、距離をとって読むようにしてきたが、この小説は文章自体が飛び込んでくるようだ。これは、恐らく、私自身の読み方、あるいは感受性とでもいうべきものが変化したのだろう。
 ずっと研究対象だった宮澤賢治の童話にしても、その良さに初めて気づくことが多く、これまで私は作品を読めていなかったのだと気づく。
2016/02/12(金) 03:40 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
テストの採点をしている。昨年と同様、松浦理英子の小説で気に入った文章とその理由を書かせる問題を出題したが、うならせる文章を書く学生さんが多く、ついつい読みこんでしまう。
 私は、(私的な場:つまり雑談の場では)、不毛な恋愛をすることに対しては、ずっと肯定することができなかった。でも、学生たちの文章を読んでいると、どんなかたちのものであれ、恋愛=特定の人間と深く付き合うことによって、学生たちが人間的成長していることが想定される。「世間の男女がしたがっているのは、しち面倒臭くなく傷つかない恋。手軽で心地よい恋。重荷にならない恋なんですよ」に共感し自ら傷ついた過去を思い出す人、「人と恥部で繋がることで親密になろうとする」という文章で心臓を鷲掴みにされたような気分になったような人など。
 恋愛というのは、人と深く付き合うことだとすれば、それが上手くゆかず傷ついても、傷つくことを恐れずに人間関係を築くことにチャレンジし続ければいいのではないか、と、思うようになった。
 この頃、出会いというのは、誰と誰であるかという組み合わせにも拠るけれども、自分や相手の成長のタイミングにも拠るのだと、つくづく感じる。以前の自分は、相手の良さを気づかなかったけれど、現在の自分は以前の昔より成長していて、相手の良さを気付くことができるようになった、など、よく耳にするからだ。
 学生たちに、素敵なことを伝えられるように、もう少し頑張って研究しないといけないなあ、と思う。
2016/01/27(水) 20:59 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
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