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土曜日。入試監督のため大学へ。夜は新宿で留学時代の仲間と会う。一人は学会(産婦人科医)のため上京してきたので、村上春樹のテキストでわからない身体的な描写について尋ねてみた。やはり私は身体についての情報に弱いようで、大学で教えるために必要だろうから、いつでもメールで問い合わせするようにと言ってくださった。ありがとうございます。私が16歳のときに出会った人たちだが、私がこんなに強い女性になるとは思っていなかった、行き先とタイミングによっては、異文化体験というものは、その後の人生をがらりと変えてしまうのだな、としみじみと言われてしまった・・。
 日曜日。日本近代文学会例会。大学院時代の韓国の友人が発表するので、参加。一日中発表を聴き、その後、研究仲間と院生と村上春樹テクストについて語りながら楽しくお茶をする。その後、大学院時代の指導教授と元ゼミ生たちと新宿へ。
 同僚からも、指導教授と私が一緒にいるところを初めてみたと笑われるほど、元ゼミ生として久しぶりに食事会に同席した。
 院生時代の指導教授はいまの職場を辞め、研究機関へ異動する予定だ。「その話を耳にしたとき、先生は偉いと思いました」と伝えたところ、まわりからは「米村さんが○○先生のことを褒めているのをはじめてみた」(笑)と笑われ(注:そんなことは決してないです)、先生からは「そういうことを言うのは、米村さんらしいな」と言われた。
 村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』には、○○大学の教授がその地域のブランドという表現がみえるのだが、つまり安住の選択肢もあったわけだ。私は院生時代の指導教官や、一緒に研究させていただいている研究者の、背中を見ながら、いろいろなことを学んでいるのだと思う。いま強く思うことは、ずっと安住しないでいよう、ということと、これからは、怖いもの知らずでいろんなことに向き合おうということだ。
2013/12/02(月) 11:55 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
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