ゼミの授業2コマの後、研究室で卒業論文指導を終えて、東京ドームへ向かった。Paul McCartneyの東京公演のためである。会場は高校生くらいから壮年の方まで幅広い年代の人に占められて、かつてリアルタイムでビートルズの日本公演を観たり、当時の空気を吸ったであろうと思われる年齢層の人も少なくないと思われた。
先週の広島への出張のとき、夜ホテルでニュースを観たら、ちょうどPaulの来日報道だった。その中で彼は新譜がビートルズ風だと言われるが、自分はビートルズなのだから当たり前だということを話していて、なるほどな、と可笑しくなってしまった。当たり前のことだが、ビートルズがその後の多くのミュージシャンに与えた影響力は計り知れない。だから、あるサウンドを耳にしたとき、ビートルズ風、あるいはビートルズ的と評したりする。でも、彼本人にビートルズ風というのは、たしかに可笑しい。
公演は、ビートルズ解散後のwingsやソロ時代のものも多かったが、ビートルズの曲も非常に多かった。会場の多くの人と同じように、私はリアルタイムのビートルズを知らない。モノクロの古い映像の中で、Paulが左効きでギターを弾き、yesterdayを歌う姿を観たぐらいだ。しかし、昨晩、彼はビートルズのPaulだった。40年以上前にビートルズとしてこんな風に歌ったのだと思った。そして彼は進化し続けていて「過去の彼」ではなく、「今の彼」が素晴らしいと改めて思った。公演を通じて彼のパーソナリティの魅力が伝わっていて、彼は極めてnice personだから、今も進化し続けることができたのだろう、と感じられた。
水道橋からの帰路、文学研究について考える。過去のテクストを対象にすることが多いが、過去のものを現在形で受けとめ、研究することの楽しさをつくづくと感じた。
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