村上春樹の新刊、高校時代の仲間との話の箇所を集中的に読んで、いろんなことを思う。
私は高2のときに、カナダでともに過ごした人たち、日本の各地から集まった初めて出会った仲間たちと、連絡をとりあい、時々会っている。その後、別の国に長期の留学を二度ほどしたけれど、自分が高校生のときに、ともに過ごした人たちとは、結びついている気持ちが強く、その人たちに会うと、あのときのたった40日間過ごしたときの記憶がすぐに蘇ってくる。しばらく前から仲間の一人と連絡がつかず、昨日も友人と心配しているメールをやりとりしたのだが、〈僕らはあのころ何かを強く信じていたし、何かを強く信じることのできる自分を持っていた。そんな思いがそのままどこかに虚しく消えてしまうことはない〉。そんな文章に救われた気持ちになる。
高1の頃の放課後、数学を教えてくれたクラスメートがいて、ある日ノートを破って解法を渡してくれた。すぐ後に、そのクラスメートはいなくなってしまった。
進む高校は違ったけれど図書館で一緒だった中学時代の友だち。いろんなことを話した。あれほど心を許して話せたのは、やはり中学、高校時代の出会いだったからなのだろうか。仲間とも「今度みんなで一緒に集まろう」といっていた。帰省して駅で会ったとき私の肩をたたいて笑顔をみせた。そのすぐ後で、その友人もこの世を去った。そのときの優しさや笑顔、未来への期待、〈そういうもの〉は、どこへ持っていったらいいのだろう。答えを見いだせないでいた。
昨日、新幹線で、新刊『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を再読し、改めてこの小説の良さを認識した。
私は、仕事をするために、連休も新刊の舞台「名古屋」からすぐに戻ってきたが、つい新刊に手を伸ばしてしまって、仕事になかなか取りかかれない。困った。
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