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何かを研究し、学生たちに何かを伝える。そういう仕事に就いているかぎり、いろんなことを伝えなければならないと思う。
しかし、この頃、私は何かを見失ってはいないか、と思うことが多い。

大学院生のころ、研究仲間になぜ研究者を目指しているのかと聞かれたことがある。こんな素敵な世界があることを、こんな素晴らしい考え方があることを、人に伝えたいと思う、と答えたことがある。今まで見てきた世界は曇っていて本当の世界を知ることができることを、微力であっても伝えたい、と。尋ねた相手は私のように「お気楽」ではなかった。自分は、そんな目的では努力はできないと。もちろん私も、単なる「お気楽」ではなく、今まで見えなかった何かが見えてきたときには、自分は見えない敵を作り出しているのではないか、という思いから逃れることができなかった。

私が、名古屋にいるとき、大学院で教えてもらった先生の姿勢や論文を読んで学んだことは「先生は何かと闘っている」ということだった。一方で先生は、こういうものを抱えて、かなりしんどいだろうな、と思った。そして、先生は「努力家」だった。つい先日、就職したばかりの後輩の口から先生は「努力家」だという言葉が出て、やはり先生はずっと何かと闘っているのだな、と思った。
そして、いまの私は、闘わなくてもいい場所に逃げ込もうとしているのではないか、とはっと気づいた。誰かに歩調を合わせたりする必要はない、自分がするべきだと信じる研究をしなければ。
2013/04/26(金) 21:12 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
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