仕事への移動中に読んだ『AERA』(09・07・27号)の「現代の肖像」。久しぶりに良い文章を読んだ。改正臓器移植法案にかかわって多臓器同時移植を専門としている米国在住の医師・加藤友朗さんについての記事だ。難手術をこなすスーパードクターというより、彼がヒューマンな人物である点をクローズアップしているところがとてもよかった。患者さんや家族にどんな言葉をかけてあげればよいのか、どんな風にまわりの人々に誠実であろうとしているのか、そして患者の死をうまく受けとめられない姿をも描出する。仕事に追われている日常だが、掲載されていた写真はとてもいい顔をしていた。
加藤さんは、薬学部に在籍していたとき、新幹線の車内で急病人が発生し「お医者様がお乗りでしたら・・・」というアナウンスが流れたという。そのとき「はい!」と名乗り出ていく人間になりたいと、卒業してから医学部へ学士入学する。ふつうの22歳の人だったら、卒業までのさらなる四年間はとてつもなく長く感じられることだろう。
私が大学を卒業する頃、同じように医学部に入り直したという知人があちこちで三人ほどいた。その話が出るとまわりの誰もが、卒業するまでの時間について思いため息まじりになった。賛否両論だった。21、2歳にとって、四~六年後というのは、とても長い時間のように思えるからだ。私もそのとき自分のケースとして試算した。私の場合には、理系科目の受験勉強から始めるから、卒業までもっと時間はかかるだろう。というよりも、数年受験勉強をして合格しなかったら、そのとき私はどうすればいいのだろう、と考えたとき、自分の家族が不安がる顔も思い浮かんだ。そんなリスクをおかしてまではチャレンジする勇気はないと思った。
でも、いまだからわかることは、数年経てば、自分の志を貫いた人は充実した仕事をし、まわりからみて輝いているということだ。世間体とか近親者や半径○メートル以内にいる人たちの言葉にとらわれず、そしてなし遂げるための労力を厭わないでいれば、そこに道は敷かれているのだと。苦節は数年のみ。
これからは、私も大局的に構えたい、と思った。
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